私がそろばん教室に通い始めて3~4年ほど経ったころだったでしょうか? 大きな数を扱うことが日常になってくると勢い、もっと大きな数に興味が湧いてきて、百科事典か何かで調べたことがあります。おそらく現代の小中学生も同じなのではないでしょうか?興味は探求心・向上心の源泉です。
調べてみると果たして、想像を超える世界が広がっていました。「数の大きさ」に驚いたというだけではなく、漢語辞典でなければ見ることもないような三字熟語や四字熟語が並んでいたのです。当時、貪るように入り込んでいたのを50年近くたった今でも覚えています。実際その熟語は今でも暗唱できます。なぜか「兆」「京」「垓」に続く七つの単位は覚えていなくても、「恒河沙(こうがしゃ)」「阿僧祇(あそうぎ)」「那由多(なゆた)」「不可思議(ふかしぎ)」「無量大数(むりょうたいすう)」は忘れることがありません。
近いうちに、無量大数までの位(単位)を一覧表にした資料を教室の生徒に、授業終わりに配布しようと思っています。どんな表情をするか今から楽しみです。保護者の方にも見ていただけると嬉しいですね。お子さんと一緒にいろんな話をしてほしいと思います。その資料を、このコラムの下部にダウンロード・ファイルとして添付していますので、読者の方にもご参照いただけます。
ところが……です。
約2年前、当時勤務していた珠算塾の生徒に「無量大数」のことを教えてあげようとして、改めて色々と調べてみたときに、さらに驚く別世界があることを知ってしまったのです。前述の膨大な位(単位)は確かに膨大に違いないのですが、それは一応「現実世界」の話ではありますよね。 でも、私が初めて開いたその扉は「仏教の領域」における数の概念だったのです。
単位の数だけで124も個あります。最大の単位は「不可説不可説転 (ふかせつふかせつてん)」といい、その大きさは「10」の「37,218,383,881,977,644,441,306,597,687,849,648,128 乗」 です。
一応、ひととおり目を通し、前述の「現実世界の領域」の位(単位)と比較してみました。中には「同じ呼称のもの」や「似た呼称のもの」、一部「一般用語と同じもの」もありました。無意識のうちに「少しでも理解しよう、既存の認識世界のなかに収めよう」という目で見ていたからだろうと、後になって振り返ってみると、そんな風に思います。
この「桁外れの仏教概念」についても、天神山そろばん教室の生徒さんに、一覧表にして配布しようと考えています。また、このコラムの下部にダウンロード・ファイルとして添付しておきますので、読者の方にもご参照いただけます。
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